社会学者の古市憲寿氏が2011年に出版した『絶望の国の幸福な若者たち』という本を読んでいた。この本はバブル崩壊から20年以上不況が続いているというのに、現代の若者の生活満足度や幸福度は上昇しているという矛盾点を取り上げた内容である。例えば、内閣府の「国民生活に関する世論調査」によれば、2010年の時点で20代の70.5%が現在の生活に「満足」していると答えている。最新の2019年の調査でもこれが85.8%に増加したので、ますます若者の幸福度が高まっているとも言えるだろう。
古市氏は本書を出版してから、政府の会議、企業向けの講演、政治家との討論番組など様々な場所に「若者」として呼ばれる機会が増えたという。政府やマスコミはどうやら彼の主張を「若者を代表する意見」だと認識しているようだ。
しかし、古市氏が若者は幸福だと考える根拠については大いに問題がある。内閣府の「国民生活選好度調査」(2010年)では「幸福度を判断する際、重視した事項」を聞いているが、そこで15~29歳の若者の60.4%が「友人関係」と答えていて他の世代と比べても突出して高かったという。古市氏は「1990年代以降顕著になったのは、若者たちにとって友人や仲間の存在が増してきたということだ」と述べている。だが、これは私のように中学生の頃に深刻ないじめを受けて同世代の友人がほとんどいない人にとっては何の説得力も持たない理由だろう。また、若者の多くがまるで小中学生のように友人や仲間こそ大切だと考えているなら、身の周りのことに気を取られて政治経済のことに関心を持ちにくくなる問題も生じてしまう。
日本財団が2019年9~10月に9カ国の18歳を対象に実施した調査によれば、「社会課題について、家族や友人など周りの人と積極的に議論している」と答えた割合は中国が87.7%、インドが83.8%、インドネシアが79.1%、ベトナムが75.3%、イギリスが74.5%、ドイツが73.1%、アメリカが68.4%、韓国が55.0%なのに対し、日本は27.2%程度と欧米・アジアの他の8カ国と比べても著しく低い。10~20代の選挙投票率が低いのは、政治経済のことについて話さない友人関係にも原因がありそうだ。
また、「国民生活に関する世論調査」だけを見て現代の若者の多くが幸福だと判断しても良いのだろうか。例えば、厚労省が発表している2019年の「自殺対策白書」によれば、10歳から39歳の死因の第一位は自殺となっている。こうした状況は国際的に見ても深刻であり、15~34歳の若い世代で死因の第一位が自殺なのは先進国で日本と韓国のみである。つまり、現代の若者は身近な友人たちと幸福を分かち合っている層と、学校のいじめや職場の不安定雇用に苦しめられている層とで二極化していると言えるかもしれない。
その上、古市氏が現代の若者が幸福だと結論付けるのは彼の経歴や世代的な背景が存在するだろう。1985年1月に生まれた古市氏は慶応義塾大学環境情報学部を卒業した後に、東京大学大学院総合文化研究科に入学するエリート街道を歩んできた。2014年度の「東京大学学生生活実態調査」で東大生に家庭の年収を尋ねた結果が掲載されており、それによれば東大生の家庭では年収950万円以上が54.8%を占めている。世帯主が40~50代の一般世帯では22.0%でしかないので、東大生は富裕層の出身者が著しく多いことがわかる。逆に年収350万円未満の低所得者層は一般世帯では24.5%だが、東大生では8.7%しかいない。つまり、古市氏の主張は結局のところ社会的成功者としての若者論だということだろう。
更に、厚労省の「国民生活基礎調査」によれば、児童のいる世帯の平均所得金額は1985年の539.8万円から1996年の781.6万円まで11年間で240万円以上も増加しており、古市氏が小学生の頃までは子育て世代の収入が上昇していたのだ。そのため、彼はまだ一億総中流社会の面影が残っていた時代に幼少期を過ごしたと言うこともできる。だが、消費税を5%に増税した1997年以降はデフレ不況が長期化し、児童のいる世帯の平均所得金額は2017年に743.6万円まで減少してしまった。
図58では1996年を100とする「児童のいる世帯の平均所得金額と消費者物価指数」の推移を示したが、これを見ると物価はデフレと言われながらも消費税増税の影響でやや上昇しているのに対し、子育て世代の所得は大幅に下落したことがわかる。2020年以降は消費税10%増税と新型コロナウイルスの影響で、更に子育て世代の所得が減少してしまうかもしれない。今の子供たちは古市氏が小学生の頃とは明らかに異なる時代を過ごしているのだ。
むしろ、昭和の管理教育が衰退してから小学校に入学し、SNS上のいじめが深刻になる前に義務教育を修了した1980年代~90年代前半生まれのほうが今の子供たちよりも恵まれていると言えるだろう。
古市氏は2013年8月26日から31日にかけて経済財政諮問会議で行われた『消費税率8%への引き上げに関する集中点検会合』で、消費税増税について「海外からアベノミクスとセットで増税が認識されている」と発言している。つまり、「現代の若者は幸福だから国際公約のために増税しても問題ない」と言いたいのだろう。しかし、国際公約とは2011年11月にG20サミットで野田首相(当時)が「日本は2010年代半ばまでに消費税を10%に増税する方針を決めた」と発言したことを根拠にしているのだろうが、当時の世界主要国はユーロ危機の対応に追われていて日本の増税などどうでもいい話である。
そもそも、消費税を引き上げるかどうかは他国が干渉できない国内の問題であって、このブログで何度も指摘しているように安倍首相は2012年6月のメールマガジンで「名目成長率が3%、実質成長率が2%を目指すというデフレ脱却の条件が満たされなければ消費税増税を行わないことが重要」と述べている。2013年の名目GDP成長率は0.8%、実質GDP成長率は1.4%程度(共に平成17年基準)なので、安倍首相はこの公約通り消費税8%への増税を中止すべきだっただろう。
また、日本では欧米と違って若者が経済格差に反対するデモを起こさないことについて、古市氏は「ブラック企業問題などもあるが、ヨーロッパに比べたら大卒というだけで何とか働き口が見つかる日本は若者に優しい社会である」と述べている。この発言を聞いて古市氏は日本経済の現状が全くわかっていないと思わざるを得なかった。確かに日本は若年失業率の低い国であることは事実だが、その一方で先進国の中で最もデフレが長期化してこの20年間全く賃金が上昇していない。図59では1997年を100とする「主要先進国の賃金推移」を示した。
古市氏が「若者は幸福だからデモを起こさない」と結論付けて消費税増税に賛成するのは、政治経済に関心を持たずデフレ不況で賃金が上がらない状況に甘んじているだけではないだろうか。私も29歳で今の生活に満足しているが、幸福を感じられない若者を自己責任で見捨てる古市氏の主張にはどうしても賛同できないのである。
また、古市氏と似たような人物にYoutuberのイケダハヤト氏がいる。1986年生まれの彼は早稲田大学政治経済学部を卒業してから半導体メーカーに就職したが、その後はITベンチャーに転職し、現在はブログやYoutubeなどのアフィリエイターとして活動している。イケダ氏は著書『年収150万円で僕らは自由に生きていく』(講談社、2012年)の中で、「僕の考えでは人的なつながりさえ豊かであれば、お金は少なくても、あるいは全然なくても大丈夫です。わかりやすいところでは、友達とルームシェアをしていれば、家賃や光熱費、食費はだいぶ少なくなります」と述べている。つまり、「日本がいくらデフレ不況に苦しめられていても、身近な友人たちと幸福を分かち合えばいい」という古市氏と同様の考え方をしているのだ。
更に、イケダ氏は「約40年後の2050年には日本の人口は9500万人台になり、その高齢化率は約40%にのぼるそうです。そうした長期のトレンドを鑑みれば、日本人の年収が今まで通り右肩上がりという妄想を抱くほうがクレイジーだと僕は思います」と典型的な『人口減少衰退論』を述べている。しかし、「消費税を廃止するためには経済成長の大切さを認識しよう」の記事でも説明した通り、ウクライナやルーマニアなどは日本より人口減少のペースが速いにも関わらず、名目GDPは1998~2018年で20倍以上も増加しているのだ。
日本のデフレ不況が長期化しているのは人口減少ではなく、1997年以降の自民党が緊縮財政を続けてきたことが原因なのだが、イケダ氏はそれを知らないのだろうか?
イケダ氏は消費税増税にも賛成していて、Youtubeの動画『消費税ゼロはヤバい!イケハヤが消費税増税に大賛成な理由』を観ると、彼は消費税を大幅に増税する代わりに、現役世代の多大な負担になっている社会保険料を下げるべきだという立場らしい。2017年度の社会保障費用統計によれば、社会保障財源の構成割合は税金を含めた公費負担の35.3%(49.9兆円)よりも社会保険料の50.0%(70.8兆円)のほうが多く、そのうち企業負担に当たる事業主拠出が23.6%(33.4兆円)、個人負担に当たる被保険者拠出が26.4%(37.4兆円)で占められている。
日本の社会保障制度の半分は税金ではなく社会保険料で成り立っているのであって、「消費税を増税して保険料を下げろ」というイケダ氏の主張は企業の負担を軽減して、そのぶんは増税として低所得者にまで広く負担を求める乱暴な案である。日本では1989年以降、経団連が法人税減税の代わりに消費税増税を求めてきたが、「保険料を下げる代わりに増税」という主張もそれと同じようなものではないだろうか。
また、イケダ氏は動画内で「世代間の格差を解消するために消費税増税が必要」と言っている。世代間格差とは、学習院大学教授の鈴木亘氏の試算によれば、将来的に受け取る年金受給総額から、現役時代に納めた年金保険料の総額を引いた差が1940年生まれと2010年生まれで約5900万円もあるという。
世代間格差を消費税で解決しようとする意見には「消費税を増税すれば、富裕高齢者の消費によって税収が上がり、社会保険料の引き下げや将来的な年金支出を通して貧しい若年層に再分配できる」という思惑が存在するが、そもそも高齢者の多くは若者から搾取するほど金持ちなのだろうか。図60では「全世帯と高齢者世帯の所得金額階級分布」を示したが、これを見ると年収500万円以上は高齢者世帯より全世帯のほうが多いのに対して、年収400万円未満は全世帯より高齢者世帯のほうが多い。つまり、現役世代よりも高齢者のほうが貧困層は多いのだ。
消費税は所得に関係なく、消費に対して同じ額の税金が掛かる「逆進性」の強い性質を持っているため、富裕高齢者よりも貧しい高齢者へのしわ寄せが大きいだろう。もし、世代間格差を解消させるために富裕高齢者に対して負担を求めるなら、消費税を廃止する前提で相続税を大幅に引き上げたり、金融資産に課税したりするのはどうだろうか。
更に、新潟大学教授の藤巻一男氏は2011年、消費税増税に関して20~60代の男女1000名に以下のアンケート調査を実施したが、その中で「消費税の引き上げには反対」と答えた人は20代で32.5%、30代で28.4%、40代で29.1%、50代で25.5%、60代で22.8%と高齢者より若者のほうが割合は高かった。私は2017年2月に『消費税の歴史と問題点を読み解く』という本を出版してから、様々な世代の方に消費税についてどう思っているのか聞くようになったが、明らかに60代以上のほうが増税を容認する人が多いように感じる。
もし、消費税増税が世代間格差の是正になると国民が実感しているのなら、若者こそ消費税増税に賛成する割合が高くなければならないが、高齢者より若者のほうが増税に反対する人が多い事実について、イケダ氏をはじめとする消費税増税の賛成派はどう感じるだろうか。
また、仮にイケダ氏が言うように社会保険料を引き下げる必要があったとしても、しばらくの間は増税ではなく国債を発行して財源を捻出すれば良いだろう。今は新型コロナウイルスの影響でデフレ不況が深刻なので、政府は例えば景気対策として年間の名目GDP成長率が5%以上に達するまで社会保険料の支払いを免除して財源は国債で賄うという政策を打ち出すことも可能である。イケダ氏は社会保障の財源を捻出する方法が税金と社会保険料しかないと思っているから、「社会保険料引き下げの代わりに消費税増税」という提案になるのだろう。
更に、イケダ氏は「社会保険料引き下げと消費税増税で現役世代の負担を減らせば、経済が良くなって子供を生みやすくなる」と発言しているが、これは消費税の怖さを全く理解していない暴論である。図61では過去60年間(1959~2019年)の「名目GDP成長率と出生数の推移」を示したが、1970年代後半以降の成長率と出生数の低下には強い相関関係があることがわかる。
特に消費税を導入した1989年からは少子化がより深刻になっていて、消費税3%だった1989~1996年は出生数の平均が年間121.5万人なのに対し、消費税5%だった1997~2013年の平均が年間111.3万人、消費税8~10%に引き上げられた2014~2019年の平均が年間95.3万人と増税すればするほど出生数が減少しているのだ。先進国の中で最も公的な教育予算が少なく、毎日消費される食料品にまで8%の税率が適用される日本では20年以上続いたデフレ不況が少子化にも影響しているのではないだろうか。
若者の代表を装って、子育て世代を苦しめる消費税増税に賛成する古市憲寿氏やイケダハヤト氏は大いに問題があると感じる。
<参考資料>
古市憲寿 『だから日本はズレている』(新潮社、2014年)
本田由紀 『教育は何を評価してきたのか』(岩波書店、2020年)
片田珠美 『「正義」がゆがめられる時代』(NHK出版、2017年)
藤巻一男 『日本人の納税者意識』(税務経理協会、2012年)
現在の生活に対する満足度(2019年)
https://survey.gov-online.go.jp/r01/r01-life/zh/z02-1.html
年齢階級別の自殺者数の推移
https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/jisatsu/19-2/dl/1-3.pdf
平成30年 国民生活基礎調査の概況
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa18/index.html
国民経済計算 2016年7-9月期 1次速報値
https://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/sokuhou/files/2016/qe163/gdemenuja.html
Earnings and wages Average wages OECD Data
https://data.oecd.org/earnwage/average-wages.htm
社会保障費用統計(平成29年度)
http://www.ipss.go.jp/ss-cost/j/fsss-h29/fsss_h29.asp
人口動態総覧の年次推移
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai19/dl/h1.pdf