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消費税増税に反対するブログ

消費税の財源の8割以上が法人税減税に消えている!消費税10%への引き上げを中止しよう!(コメントは、異論や反論も大歓迎です)

消費税の歴史(1989~2001年)

この記事は『消費税の歴史(中曽根~竹下内閣)』の続編です。

 

消費税増税を容認した社会党

 1989年の参院選が終わった後も、国会では引き続き消費税の存廃議論が行われ、同年11月には社会党などの野党が「消費税廃止法案」を参議院本会議に提出した。この法案は、衆議院での審議未了で廃案となるが、自民党は中曽根首相が「大型間接税はやらない」と発言した1986年の衆参同時選挙から、バブル崩壊の影響が鮮明になった1993年までに衆議院議席を77名減らした。

 

 これにより、戦後長らく続いた自民党の「55年体制」が崩壊し、1993年8月に日本新党代表の細川内閣が発足する。細川首相は導入以来、国民の反発を招いてきた消費税を白紙に戻し、代わりに税率7%の「国民福祉税」を提案した。しかし、実際には消費税の名称を変えただけであって、世論を味方につけることは出来なかった。

 

 その一方で、社会党土井たか子氏の委員長辞任後、消費税について「福祉のために使うのであれば増税もやむを得ない」という空気が生まれており、羽田内閣を経て1994年6月に自民・社会・新党さきがけ連立政権として発足した村山内閣は、1997年から消費税を5%に引き上げることを94年11月の「税制改革関連法案」で決定した。

 

 消費税導入に反対していた社会党の出身でありながら増税を決定した理由について、村山首相は「高齢化社会を迎えるに当たって、従来通り所得税だけに依存するとサラリーマンにより大きな負担が掛かる」と述べていた。

 だが、「所得税がサラリーマンにとって大きな負担」というのは、当然ながら村山首相の持論ではなく、大蔵省の主張を代弁したに過ぎない。これ以来、社会党は「何の理由もなく増税に反対していた節操のない政党」という認識が広まってしまい、阪神・淡路大震災地下鉄サリン事件も逆風となって、1995年7月の参院選では連立与党三党の敗北に終わった。

 

 しかし、増税賛成派も負けてはおらず、同年11月の国会で武村正義蔵相が事実上の「財政危機宣言」を発表する。

 武村氏は「中央公論」(1996年6月号)の中でも、『このままでは国が滅ぶ―私の財政再建論』という衝撃的な見出しで、消費税の福祉目的化や法人税減税、歳出削減などを提案したが、『日本は本当に借金大国なのか?』でも説明したように「国の借金」とは「政府の負債」であって、国民が背負った借金であるかように脅すのは許しがたい嘘だろう。

 

 

景気が回復していた中で消費税増税を決定

 村山首相の辞任後、1996年1月に発足した橋本内閣は、消費税増税による景気悪化を大きく受けた政権として名を残すことになる。

 

 1996年の日本経済は、実質GDP(2005年基準)の成長率が2.6%に上昇するなどバブル崩壊からの着実な回復を見せていた。

 実際に、経団連会長の豊田章一郎氏は、同年2月7日に行われた『読売国際経済懇話会』の中で、「日本経済は長い混迷の時代にありますが、景気にようやく明るさが感じられるようになりました。特に、今年度の設備投資は、四年ぶりに増加の見込みであるほか、消費も緩やかではございますが、回復基調にあります」と述べている。

 また、当時の経団連は「構造改革を行えば景気が回復する」という楽観論を描いており、それが消費税増税規制緩和、医療費の増徴、公共投資の削減など、橋本内閣の経済政策に繋がったとされる。

 

 しかし、今回も国民の反発を招き、1996年3月には全国各地の旅館の女将ら約60名が特別地方消費税(2000年廃止)に反対して、国会周辺でデモを行った。

 当時の旅館やホテル業界では、消費税3%の他に特別地方税3%が加算されたため、消費税という名目で計6%を宿泊客から取らなければならず、「意味不明の消費税を2倍も取られる理由はない、と客から叱られることもしばしば」と批判する女将も多かったという。

 

 消費税増税は最終的に、橋本内閣が1996年6月25日に閣議決定を行い、1997年4月から5%へ引き上げることを決定した。だが、橋本首相としては「消費税増税は村山前政権が決めたこと」という意識が強く、あまり責任に重みを感じていたとは言えない状況であったのだろう。

 6月25日の閣議決定を受けて、翌26日には北野弘久氏や富岡幸雄氏など、各界の学者や文化人13名が「消費税の税率引き上げを中止させるために」という国民へのアピールを行った。また、自民党亀井静香議員や「次代を担う若手国会議員の会」(松岡利勝代表)が1996年8月に、消費税5%への引き上げについて一定期間凍結すべきとの決議を行っており、与党議員にも増税反対派が存在したことがうかがえる。

 

 当時、自民党幹事長だった加藤紘一氏も、橋本首相から選挙の見通しについて「調査結果を見ると、消費税増税を言い続けたら投票態度を変えるという人が10%います。数十議席減って過半数を割る」と答えた際に、橋本首相の顔色が変わったという。結果的に1996年10月の衆院選では議席を16名増やし自民党が勝ったが、消費税増税で党内が混乱していたことも事実だろう。

 

 しかし、そうした国民の反発や自民党の混乱を無視して、1996年11月29日と12月1日のNHKスペシャルでは「消費税を増税しないと日本経済は破綻する」という内容の番組を2回にわたって放送した。

 また、1997年1月13日には年明けに株価が急落したことを受けて、クローズアップ現代が「株価下落の主因は、緊縮財政に反対する予算拡張への動きにある」という的外れな内容の番組を放送している。この番組では、消費税増税や緊縮財政に反対する経済学者の植草一秀氏のコメントが削除されたという。

 

 

消費税増税で景気が悪化した19971998

 1997年3月には、消費税が導入された1989年と同様に、高価品の駆け込み消費が発生した。リサーチ総研の消費者心理調査によれば、年収400万円未満で増税前の駆け込み消費を行った人の割合は40.9%と比較的少なかったのに対し、年収400万円以上では50%を超えており、駆け込み消費は高所得者を中心に行われていたことがうかがえる(『収入と雇用の見通しが鍵を握る消費者心理の改善』 リサーチ総研CSI消費者心理調査 1997年5月より)。

 

 その影響もあって1997年の経済は、5月頃まで1993年10月から続く景気拡張に支えられて順調だったが、駆け込み消費の反動でデパート、スーパー、家電などは8月も前年同月比で売り上げが下回っていた。9月に発表された4~6月期のGDPは年率マイナス11.2%と大きな落ち込みを示している。9月11日に内閣改造を行い、ロッキード事件で有罪となった佐藤孝行議員の起用が批判されていた橋本首相にとって、マイナス成長の発表は痛手だった。

 だが、橋本首相は景気の悪化に危機感を示しつつも、財政収支を健全化させる「財政構造改革」を進めようとする方針に変更はなかった。10月21日には、規制緩和や金融ビッグバンを含めた緊急経済対策をまとめている。

 

 マイナス成長に加え、11月に入ると金融機関の破綻が相次いで発生する。3日には三洋証券が会社更生法を申請し、17日には北海道拓殖銀行が経営破綻し、24日には山一證券が自主廃業を決めた。

 特に、山一證券の野澤社長が記者会見で「みんな私ら(経営陣)が悪いんであって、社員は悪くありませんから」と涙ながらに謝罪したシーンは、多くの人にとっても印象に残っている。戦後、長年にわたって続けられた大蔵省の「護送船団方式」による金融機関の保護に慣れた国民にとって、1ヵ月のうちに三洋・拓銀・山一の大型倒産が相次ぐとは予想もしていなかっただろう。

 

 橋本首相は金融恐慌の発生を受けて、11月24日、山一證券が自主廃業したのと同日にバンクーバーで開催された日米首脳会議で「経済の見通しについて言えば、大統領やルービン長官、サマーズ副長官らの勘が正しかったようだ。この点はお詫びしなければならない」と謝罪している。

 実は日本が消費税を5%に引き上げる直前の1997年3月、アメリカのゴア副大統領が来日し、「日本はなぜ緊縮財政を取るのか。内需を拡大して経済を活性化させるべきではないか」と進言していたのだ。しかし、橋本首相と大蔵省は「緊縮財政や消費税増税は既に決まっている」として聞く耳を持たなかった。

 

 1998年には不況が更に深刻化して、「日本発の金融恐慌」までもが懸念された。巨額の不良債権を抱える銀行など、多くの企業が決算期を迎える「3月危機」もささやかれ始める。完全失業率は戦後初めて4%台に達し、全国企業倒産件数も1985年以来、13年ぶりに1万8000件を超えた。

 こうした中で1998年7月12日に行われた参院選では自民党が敗北し、翌13日に橋本首相は辞意を表明した。消費税を5%に引き上げてから1年3ヵ月後の出来事だった。

 

 

アジア通貨危機と山一破綻が不況の原因なのか?

 消費税増税の賛成派は、1997~98年の不況について増税の影響ではなく、97年7月にタイで発生し、インドネシア、マレーシア、フィリピン、韓国など東アジア全域に飛び火した「アジア通貨危機」が原因だと主張している。

 だが、アジア通貨危機の当事国であるタイや韓国は翌1998年のGDP成長率が日本以上に悪化した一方で、その後は1999~2007年にかけて高い成長率を続けていたことがわかる(図17を参照)。

 

 発展途上国のタイだけでなく、韓国でもアジア通貨危機からの回復が早かったため、1997年から20年近く続いている日本のデフレ不況を、アジア通貨危機だけが原因だとするのは間違っているのではないだろうか。

 

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 また、この他にも増税賛成派は「1997年の不況は、北海道拓殖銀行山一證券の破綻など金融危機が原因」と主張している。しかし、山一證券は97年だけでなく、1965年5月にも経営破綻が表面化していたが、日銀による緊急特別融資の実施とその後の高度成長で危機を乗り越えたのである。

 その一方で、1997年の自主廃業はバブル崩壊後の景気悪化や4月以降のマイナス成長と無関係ではないだろう。

 

 1998年6月22日に経済企画庁で開かれた「景気基準日付検討委員会」では、景気が拡張局面から後退局面に移る転換点の「山」を1997年3月と判定するにいたった。この景気の「山」が97年3月に確定されたことは、景気後退が消費税を5%に引き上げた4月から始まっていたことを意味する。政府は「消費税増税による景気悪化」を公式に認めていたのだ。

 

 更に、自殺者の数も1997年の23494人から1998年の31755人と一年間で8000人以上も増加した(厚労省「人口動態統計」より)。一般的に自殺は女性より男性に多いと言われているが、1970年以降の男性の自殺死亡率と完全失業率を比較すると、どちらも90年代後半に伸びているのがわかる(図18を参照)。

 この時期は失業率の悪化と共に40~50代の自殺者が急増しており、消費税増税後の深刻な不況が自殺者増加の原因となった可能性も高いだろう。

 

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消費税増税の代わりに法人税所得税を減税

 1998年の参院選を経て7月30日に発足した小渕内閣は、橋本内閣が1997年11月に成立させた「財政構造改革法」を98年12月に凍結し、金融の安定化や景気振興と経済再生に尽力した。1998~99年はGDP成長率が2年連続でマイナスだったが、2000年には2.3%のプラスに回復して経済が成長路線に戻った。

 

 その一方で、法人税率は1998年度に37.5%から34.5%に引き下げられたことに加え、1999年度には30%まで引き下げた。所得税に関しても97年度に特別減税を廃止した橋本内閣に対して、小渕内閣では99年度に最高税率を50%から37%に引き下げた。

 消費税が導入された1989年、竹下内閣は同時に法人税所得税を減税したが、「消費税増税の代わりに法人税所得税を引き下げる」という手法は1997~99年の橋本・小渕内閣でも繰り返されたと言えるだろう。

 

 橋本首相は2001年4月、自民党総裁選に再度立候補した時に「私は1997~98年にかけて緊縮財政をやり、国民に迷惑をかけた。私の友人も経済問題で自殺した。本当に国民に申し訳なかった。これを深くお詫びしたい」と謝罪し、消費税増税を含めた自身の経済政策について失敗を認めている。

 

 

<参考資料>

植草一秀斎藤貴男 『消費税増税 「乱」は終わらない』(同時代社、2012年)

軽部謙介西野智彦 『検証 経済失政』(岩波書店、1999年)

菊池信輝 『財界とは何か』(平凡社、2005年)

北野弘久 『5%消費税のここが問題だ』(岩波書店、1996年)

竹森俊平 『1997年 世界を変えた金融危機』(朝日新聞社、2007年)

羽田一郎 「早くも橋本内閣支持率は下落傾向 消費税5%に大義はあるか」 『月刊TIMES』(月刊タイムス社編、1996年8月号)

林直道 『日本経済をどう見るか』(青木書店、1998年)

 

経済に関するデータ 世界銀行

http://www.worldbank.org/ja/news/feature/2014/03/24/open-data-economy

人口動態調査

https://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/GL08020101.do?_toGL08020101_&tstatCode=000001028897

労働力調査

http://www.stat.go.jp/data/roudou/longtime/03roudou.htm