失業率が高まったサッチャリズム
何故、日本で消費税増税の代わりに法人税減税が唱えられるのかについては、1980年代にイギリスを席巻していた「サッチャリズム」まで遡る必要がある。
第二次世界大戦後のイギリスでは「ゆりかごから墓場まで」と讃えられるほど社会福祉が充実していた。その代表的な例として挙げられるのは、1948年に始まった「国民保健サービス(NHS)」である。この制度では、国民全員が健康な生活を送る権利があるという認識に立って、医療費を国が全額負担していた。
しかし、1970年代に入ると高い失業率や財政赤字が問題となり、1979年に誕生した保守党のサッチャー政権は、国有企業の民営化や社会福祉制度の見直しなど、小さな政府による新自由主義政策を推進した。
また、税制改革では所得税の最高税率を1979年に83%から60%、1988年に40%まで引き下げ、法人税も1983年の52%から1986年の35%まで引き下げられた。その一方で、付加価値税(消費税)は1979年に8%から15%、メージャー政権での1991年には17.5%へと増税している。
サッチャーの新自由主義政策は、インフレ不況に苦しむイギリス経済を一時的に立て直すことには成功したものの、企業や経営者が短期的な収益を増加させることで、将来に必要な投資を怠り、生産性と国際競争力が著しく低下した。
更に、イギリスの財政立て直しと引き換えに、福祉支出を大幅に削減し、国民の医療負担を増やしたために、多くの病院が経営難に陥って、医師不足や医療の質的悪化に繋がった。
所得税減税について、サッチャーは「一生懸命働けば税金を取られることはない」と主張し、国民の支持を確固たるものにした。だが、イギリスの失業率は1980年の7.1%から1984年の11.8%まで上昇し、80年代後半には少し改善したものの、その後は1993年の10.4%へと再び悪化したため、サッチャリズムの代償はあまりにも大きかったと言えるだろう(図29を参照)。
アメリカで1981年に誕生した共和党のレーガン大統領も、サッチャリズムと同様に富裕層への減税が新たな投資を呼んで、経済を活性化させるトリクルダウン理論のもと「レーガノミクス」を提唱した。
これによってレーガンは、所得税の最高税率を1981年に70%から50%、1986年に28%まで引き下げ、法人税も1986年に最高税率を46%から34%まで減税した。また、軍事費を大幅に増額させる一方で、「財政を圧迫し、労働者の活力を削いでいる」として社会福祉の支出を削減し、運輸や金融など大胆な規制緩和を行った。
しかし、レーガンが想定した富裕層の投資は起こらず、所得税と法人税の減税によって税収だけが激減し、財政赤字を招いてしまった。更に、製造業が海外に生産拠点を移していたため、輸入が増える一方で、輸出が減って貿易収支の赤字が拡大し、アメリカでは財政と貿易の「双子の赤字」が発生したのである。
その後、1989年に誕生した父ブッシュ大統領はレーガンとは逆に、所得税の最高税率を1990年に28%から31%まで引き上げたが、財政支出による景気対策を取らず、税率だけを引き上げてしまったために景気が悪化し、1982年の9.7%から1989年の5.3%まで改善していたアメリカの失業率は1992年の7.5%へと再び上昇に転じた。
こうした経緯から1992年の大統領選で、父ブッシュは民主党のクリントンに敗北している。
「小さな政府」が持てはやされる日本
その一方で、日本ではサッチャーやレーガンと親交の深かった中曽根首相が行政改革を進め、所得税と法人税を減税し、売上税を導入しようとした。1980年代後半の日本はイギリスやアメリカと違い、好景気にわいていて中曽根改革が成功したかのように思えた。
しかし、行政改革の後にバブルが発生したのは当時の日本がインフレだったからで、逆にバブルが崩壊してからは長いデフレの時代に入る。1990年7月には世界銀行からの借金を完済し、1991年以降は対外純資産の保有額が世界一となるので、この時点で「小さな政府」路線を終了すべきだったのであろう。
だが、バブル崩壊後も日本は小さな政府を目指し続け、1996年の橋本内閣から現在の安倍内閣まで消費税増税に加えて、「規制緩和」や「歳出削減」が唱えられてきた。デフレに苦しむ日本経済はますます貧しくなる一方であるにも関わらず、未だに「日本が不況から抜け出せないのは構造改革が足りないからだ」と主張する経済学者も少なくない。
1970~80年代のインフレの時代は生産性を向上させるために国営企業の民営化や規制緩和、所得税減税などで経済を発展させたが、デフレ不況に苦しむ現代の日本では消費意欲を高めるために、規制緩和などの構造改革より財政出動や消費税引き下げを行うべきではないだろうか。
<参考資料>
菊池英博 『そして、日本の富は略奪される』(ダイヤモンド社、2014年)
マークス寿子 『「ゆりかごから墓場まで」の夢醒めて』(中央公論社、1995年)