消費税増税に反対するブログ

消費税の財源のほとんどが法人税減税に消えている!消費税を廃止し、物品税制度に戻そう!(コメントは、異論や反論も大歓迎です)

消費税の歴史(2009~2012年)

自民党の緊縮財政を引き継いだ鳩山・菅内閣

 政権交代を経て、2009年9月16日に発足した鳩山内閣は、アメリカが日本に送付し、構造改革規制緩和のきっかけとなった「年次改革要望書」を廃止して、小泉内閣から進められてきた「郵政民営化」についても見直しを行った。消費税増税も当初のマニフェスト通り、2009年から4年間は実施しないと公約していた。

 しかし、「コンクリートから人へ」というスローガンのもと、リーマンショック真っ只中であるにも関わらず、景気対策としての財政出動そのものを躊躇し、麻生内閣が編成した2009年度の補正予算を執行停止にした。その結果、デフレ不況が加速化して2009年の実質GDPは2年連続でマイナスとなり、有効求人倍率も前年の0.88倍から0.47倍まで悪化してしまった。

 更に、同年11月に行われた事業仕分け行政刷新会議)では、スーパーコンピュータの予算を削減したことが物議を醸した。

 

 これらの緊縮財政を断行したことにより、内閣支持率は急落し、目玉政策であった子ども手当や高速道路無償化は財源が示せず、普天間基地移設問題や鳩山首相の偽装献金問題についても野党から追及され、2010年6月2日に鳩山内閣は退陣を発表する。

 日本は2006年の第一次安倍内閣から毎年ローテーションで首相が変わるほど短命内閣が続いていたが、非自民党政権が誕生しても長期政権を築くことはできなかった。

 

 鳩山首相の辞任後、2010年6月8日に発足した菅内閣マニフェストに違反して消費税増税に賛成し、従来の自民党政治に回帰する政権となる。自民党が6月3日の総務会で、消費税率を10%に引き上げる方針を明確にすると、菅首相も「自民党と同じことを言えば参院選の争点にならない」と鳩山前首相の公約を裏切って自民党の「10%案」に抱きつき、玄葉政調会長増税の実施時期について「最短で2012年の秋になる」と発言した。

 しかし、民主党増税容認に変節したことは有権者から厳しい批判を受け、7月11日に行われた参院選では野党の自民党議席を13名増やし、与党の民主党議席を10名減らしてしまった。

 

 菅首相は消費税増税に賛成する理由として、「強い経済、強い財政、強い社会保障」という新たなマニフェストを打ち出した。一般的な増税反対派の考え方は「政府が財政出動を行って雇用を創出し、国民の消費を高めることで強い経済を作る。経済が強くなれば、税収が増えて社会保障も充実する」というものだが、菅内閣では「強い財政のためにまず増税を行い、政府が得た税収を社会保障に投資する。そうなると、社会保障が充実し、強い経済になる」と考えた。

 だが、今回もやはり消費税増税と同時に、法人税減税が推進されたのである。6月18日に閣議決定した「新成長戦略」では、日本企業の国際競争力強化のため、約40%の法人実効税率を段階的に25%程度まで引き下げる方針が明確にされた。更に、15歳以下に毎月1万3000円支給されていた「子ども手当」についても、2011年度から毎月2万6000円に増額する当初の予定を中止したため、「消費税を上げて社会保障を充実させる」という菅内閣のメッセージは説得力に欠けたものだったと言えるだろう。

 

 また、菅首相は2010年6月の就任会見で「最小不幸社会を目指す」と発言していた。最小不幸社会とは、簡単に言ってしまえば「もう日本は経済成長できないから、大きな不幸がないだけでも有り難い」という意味が推測できるが、リーマンショックが落ち着いた2010年の実質GDPは4.7%のプラス成長に回復し、日本経済はまがりなりにも成長していたのだ。しかし、深刻なデフレ不況であるにも関わらず、こうした景気回復よりも財政再建を優先する姿勢が、早期に内閣支持率を低下させる一因にもなった。

 

 

東日本大震災の2日後に計画された復興増税

 参院選で敗北した後も民主党が消費税を引き上げる方針に変更はなく、10月28日に「政府・与党社会保障改革検討本部」を設置し、社会保障・税一体改革を開始する。翌2011年1月14日の内閣改造では与謝野馨氏が内閣府特命担当大臣入閣した。

 与謝野氏は鳩山前首相を偽装献金問題で「平成の脱税王」と呼び、2010年4月に「たちあがれ日本」を結党した後も民主党を厳しく批判していた一方で、消費税増税については1996年の橋本内閣時代から推進派だったため、増税に積極的な菅首相を支える目的で民主党入閣したと思われる。

 

 内閣改造後の2月5日には政府の「社会保障改革に関する集中検討会議」が初会合を開き、2月19日の同会議で菅首相は「医療・年金・介護といった問題だけではなくて、シングルマザー、あるいは障害者の問題を含めた福祉の在り方についても話し合っていきたい」と発言した。

 

 だが、2011年3月11日に悲劇が襲う。多くの人が知っている通り、この日の午後2時46分に東日本大震災が発生し、それに伴う大規模な津波もあって死者は1万5000人以上、行方不明者は約2500人、重軽傷者は約6100人にものぼった。更に、同日には福島第一原発事故が発生し、放射性物質が大量飛散する未曾有の重大事故となって、政府は社会保障より震災復興の対応に追われることになる。

 しかし、3月13日には菅首相と谷垣自民党総裁が会談を行い、大震災からの復旧や復興の財源を確保するための「復興増税」について話し合われた。これは、政府の復興構想会議が発足し、第1回会合を開いた4月14日から比較しても異例のスピードだということがわかる。

 

 1995年の阪神・淡路大震災の時も消費税増税に向けた議論が進められていたが、誰も「復興増税」という言葉を口にする者はいなかった。多くの被災者がまだ路頭に迷っている東日本大震災の2日後に、菅と谷垣が復興増税をどうするか話し合っていたエピソードは、国会議員の質の劣化を象徴する出来事なのかもしれない。

 

 2011年4月7日に東日本大震災で中断していた「社会保障改革に関する集中検討会議」を再開させ、6月2日には「2015年度までに、消費税率を段階的に10%まで引き上げる」改革案が打ち出された。

 この頃になると、震災復興の遅れから菅内閣に対して不信任決議案が提出されるようになり、南海トラフ地震で最も被害を受けると予想されている浜岡原発を5月14日に運転停止するなど、少しでも支持率を回復させようと内閣の延命措置を図ったが、8月26日に退陣条件としていた特例公債法と再生可能エネルギー特別措置法が参院本会議で成立したことを受け、菅首相は辞意を表明する。

 

 

消費税増税に政治生命をかけた野田内閣

 菅首相の辞任後、民主党代表選を経て2011年9月2日に野田内閣が発足した。野田首相は自らを「泥臭く国民のために汗をかいて、政治を前進させるどじょう」に例えたが、増税については2011年度から消費税を引き上げるとされていた「平成21年度税制改正法」の附則にこだわり、「法案成立に政治生命をかける」と強気の姿勢を見せた。

 しかし、野田首相は2009年8月の街頭演説で「消費税5%分の皆さんの税金に、天下り法人がぶら下がっている。シロアリがたかっているんです。シロアリを退治して、天下り法人をなくして、天下りをなくす。そこから始めなければ、消費税を引き上げる話はおかしいんです」と述べており、政権与党になってから財務省にすり寄って増税賛成の立場に変わったことがうかがえる。

 

 また、野田首相はかつて松下幸之助氏が設立した「松下政経塾」の第一期生だった。松下氏は生前、「日本を税金のいらない国にしよう」という無税国家論を提唱していて、野田内閣が進める消費税増税との矛盾が国会でもたびたび指摘された。

 2011年9月15日の衆院本会議では、みんなの党渡辺喜美代表から「松下氏は『無税国家』を提唱し、厳しい経済状況の時こそ、国家は大減税して景気を直すべきと言った。その考えを否定するのか」と質問された際に、「今は松下さんが想定したより、はるかに深刻な財政状況だ。これ以上の借金を将来に残すことは断固、阻止しなくてはならない」と答えている。

 だが、日本は松下幸之助氏が死去した翌年の1990年に世界銀行からの借金を完済し、海外に持つ資産から負債を引いた「対外純資産」の残高も2011年末の時点で265.7兆円にのぼっていて、実際には財政状況が深刻どころか、松下氏が生きていた時代よりはるかに政府や企業がお金を持っているのだ。

 

 更に、野田首相は2011年11月3日にフランスのカンヌで開かれたG20サミットで「ヨーロッパの状況を見るまでもなく、健全な経済成長を実現するためには、財政健全化が必要不可欠だ。日本は2010年代半ばまでに、消費税率を段階的に10%まで引き上げる方針を定めた『社会保障と税の一体改革』を具体化し、これを実現するための法案を今年度内に提出する」と発言した。

 財務省は、この発言を根拠に「消費税増税国際公約だ」と既定路線にしようとしているが、当時の世界主要国はユーロ危機の対応で苦戦しており、日本の消費税増税などどうでもいい話だろう。実際にフランスでは、2012年10月に付加価値税を19.6%から21.2%へと引き上げる予定だったが、同年5月の大統領選で増税撤回を訴えたオランド大統領が勝利し、公約通り付加価値税の引き上げは凍結された。

 その後、フランスの付加価値税は2014年1月から20%に増税されたが、付加価値税の引き上げ時期を延期したからといって、国際世論がフランスを責めただろうか。そもそも消費税を増税するかどうかは他国が干渉できない国内の問題であって、野田首相の「国際公約」発言も増税が実現しなかったら辞任や解散総選挙で責任を取るという話までしていないのが実情だろう。

 

 

社会保障と税の一体改革」をめぐって民主党が分裂

 2011年は東日本大震災の影響もあって、実質GDP成長率が再びマイナスに落ち込んだが、野田内閣は深刻な不況を尻目に、翌2012年1月6日には経団連の同意を得て「社会保障・税一体改革素案」を発表する。

 

 2月29日には、参議院第一委員会室で野田首相と谷垣自民党総裁党首討論が行われ、谷垣総裁は「野田首相が本当に消費税増税を成し遂げたいのであれば、党内をしっかり掌握させて方向性を定めていただきたい」と述べた。

 谷垣氏は2月19日に福岡で行われた講演会で、民主党小沢一郎元代表が消費税引き上げに反対していることについて、「増税に賛成しないのなら、首相は『党を出ていけ』と言うべき」と小沢切りを迫る発言をしており、民主党増税反対派を排除し、自民党との連携を強める姿勢を見せた。

 

 こうした自民党の協力もあって、年度末の3月30日には消費税率を2014年4月から8%、2015年10月から10%に引き上げる「消費税増税法案」を閣議決定した。増税を2段階に分けたのは将来的に消費税を10%以上に増税したいが、国民の反発が強いために段階的に税率を上げていったほうが、抵抗が少ないと考えたからだろう。

 心理学用語では「最初に断られる前提で大きな要求を仕掛けて、その上で本当の目的だった小さな要求を通すこと」をドア・イン・ザ・フェイス(譲歩的要請法)と言うが、消費税でも「財政再建には税率を20~30%まで引き上げる必要がある」と宣伝し、本来の目的であった8%や10%への増税を国民に納得させるのはこの手法が使われていると言える。

 

 その一方で、民主党の中でも消費税引き上げに反対している「小沢グループ」が4月2日に、野田内閣の消費税増税法案に抗議し、鈴木克昌幹事長代理をはじめとするグループ21人の辞表を提出した。

 更には、民主党だけでなく連立を組んでいた国民新党でも、増税反対派の亀井静香代表と賛成派の自見庄三郎議員が分裂する。亀井氏は4月6日に国民新党を離党し、2012年11月には名古屋市長の河村たかし氏と「減税日本・反TPP脱原発を実現する党」を結成した。

 同党はその後、小沢グループが立ち上げた「国民の生活が第一」と共に、滋賀県知事の嘉田由紀子氏が代表を務める「日本未来の党」に合流することになる。

 

 また、民主党国民新党が分裂した他にも、同年6月には新宿、渋谷、池袋など都内各地で数百人規模の消費税増税反対デモが開催された。ちなみに、筆者が初めて増税反対デモに参加したのはこの時期で、同世代の学生が「1997年に橋本首相が消費税を5%に上げてから日本はずっと不況だ」「デフレ下に増税したら不況が更に深刻化する」と演説していたのが印象的だったことをよく覚えている。

 

 しかし、野田内閣は6月15日に自民党公明党との三党合意で消費税増税を中心とする「社会保障・税一体改革関連法案」を今国会中に成立させることで合意し、6月26日に衆議院、8月10日に参議院で可決成立してしまった。

 更に、脱原発を主張していた菅前首相に対して、野田内閣では2012年6月に大飯原発の再稼働を正式決定し、「自民党野田派」と揶揄されるほど従来の自民党と変わらない政策が打ち出されていった。

 

 その一方で、自民党のほうもお笑い芸人の母親が生活保護を受給していた問題に便乗して、生活保護そのものに対するバッシングを開始し、早くも『社会保障と税の一体改革』は「消費税を上げて社会保障を削減する」という路線に切り替わったのである。

 2009年の衆院選で「社会保障の強化のために、消費税を引き上げたい」と訴えた自民党も、「政権を取っても、4年間は消費税を引き上げない」と訴えた民主党も選挙公約に違反したと言えるだろう。

 

 

民主党の壊滅的な敗北に終わった総選挙

 2012年8月10日に「社会保障・税一体改革関連法案」が参議院で可決成立してから、野田首相は「近い将来に信を問う」と年内の解散を思わせる発言をし、11月14日に安倍自民党総裁との党首討論で、小選挙区一票の格差是正と定数削減の実現を条件に16日の衆議院解散を明言した。

 

 衆議院の解散後、12月16日に実施された総選挙ではマニフェストに違反して消費税増税を決定したことや、東日本大震災から一年半が過ぎても進まない復興などに対する批判から、民主党議席を173名減らし、離党した議員も70名以上いたため、2009年の308議席から57議席へと壊滅的な敗北に終わった。

 それに対し、自民党議席を176名増やして、2009年の119議席から294議席へと大幅に増加したため3年ぶりに与党へ戻ることになり、2012年12月26日には第二次安倍内閣が発足する。一度首相を辞任した人物が、再び首相に就任するのは吉田茂以来のことだった。

 民主党政権が崩壊した原因は、マニフェストに書いていることをまともにやらず「第二の自民党化」したことで、民主党が第二の自民党に過ぎないのであれば、国民の多くは政権担当実績の長い自民党で良いと判断したのかもしれない。

 

 

<参考資料>

伊藤裕香子 『消費税日記 ~検証 増税786日の攻防~』(プレジデント社、2013年)

岩﨑健久 『消費税の政治力学』(中央経済社、2013年)

清水真人 『消費税 政と官との「十年戦争」』(新潮社、2013年)

高橋洋一財務省が隠す650兆円の国民資産』(講談社、2011年)

田中秀臣・上念司 『「復興増税」亡国論』(宝島社、2012年)

三橋貴明 『メディアの大罪』(PHP研究所、2012年)